ハノイ市民の誇り、
ロンビエン橋に行ってみた

ハノイ北部を流れる紅河に架かる、

ロンビエン橋(Cau Long Bien)に行ってみました。







この橋は、
フランス植民地時代に、
海運都市ハイフォンとハノイを鉄道で結ぶ目的で造られた物で、
ロンビエン駅から、
紅河の対岸にある、
ロンビエン地区をつないでおり、
全長は約1,700m だそうです。





構造としては、

中央に 軌道(単線)があり、
その両側にバイク専用道、歩道があります。



ベトナムの道路は右側通行ですが、
なぜか、

この橋は左側通行です。



そして、
歩道部分のコンクリートの板が、

メッチャ薄い (||゚Д゚)ヒィィィ!






実はこの橋、
パリのエッフェル塔を設計したギュスターヴ・エッフェルが設計した、
という説もあるそうです。



確かにそう言われると、

エッフェル搭に似てるような、、、
倒れてますけど。



しかし、

工事を請け負ったDAYDE & PILLE社の銘板が。

1899年に着工し、
1902年に完成したようですね。

やはり、
ガセなんですかね、
エッフェル説は?






橋の中央は少し広くなってて、

サービスエリアがあります(笑)

バナナ屋さんが店を出してました。






そして、
この橋の下を流れるのが、

紅河(Song Hong)

水中に多く含まれる酸化鉄のため水の色が赤い、
なので、
紅河。

中国雲南省を発し、
他の川と紅河デルタを形成し、
トンキン湾に流れ出ます。

南部のメコンデルタと同じく、
世界的な米の産地ですね。






この橋、
ハノイの人にとっては、
ただの交通インフラではなく、
特別な意味を持つ橋なんだそうです。

それは、
ただ古い橋だとか、
エッフェルが設計したとか言うことではないんです。



ベトナム戦争時、
米軍はこの橋を最大の攻撃目標としたそうです。

空爆でたちまち破壊されるが、
ハノイの人達は直ぐに架橋を造り復旧したんです。
これを何度も何度も繰り返し、
どんなことがあっても決して諦めないで、
そして負けない。

超大国アメリカを駆逐したシンボルとして、
この橋は今もハノイ市民の誇りだそうです。


私はホーチミンに10年間住んでいましたが、
これがホーチミンだったら、
同じような結果にはならなかったように思いますね。

良い悪いは別として、
やはり、

『北と南では、
 人がかなり違うなぁ〜』

なんてことを、
改めて考えさせられる、
ロンビエン橋です。






そんなロンビエン橋ですが、
さすがに100年以上経過し、
老朽化激しく

いたるところがボロボロです。




列車が走る前には、

係員が状態の確認をするようです。


部分的に補修はしてるようですが、
このまま使用するのは難しいようで、
架け替えの話も出てるようです。

先代の首相、
ズン首相は保存を希望してたようですが、
新しい首相になってどうなることやら。

ハノイ市民の思い入れの強い橋なので、
一気に潰してしまうことはないと思いますが、
そのうち通行は出来なくなるかもしれませんね。






ロンビエン駅には出発を待つ列車が停まっています。

列車がこの橋を走るとこを見たくてしばらく待っていたのですが、
一向に出発しません。



この日はメッチャ暑くて、
待ちきれません。

やはり、
この時期のハノイは暑いですね。

って言うか、
熱いです。



仕方ないので、

ロンビエン駅に行ってみました。

この駅は、
ベトナムで唯一の高架駅なんですね。





D10Hと言う、
中国製の列車が出発を待ってます。



しばらく待ってると、
出発しました、

メッチャ遅い速度で。



橋の上の赤い看板には、

「交通安全はすべての家庭において幸せ」

と書かれています。



いつまでも、

『ご安全に!』








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