熊野古道・小辺路を歩いてみよう、アゲイン 
一日目 三浦口 〜 果無峠・観音堂

朝4時前、
目が覚めます。

まずは、

朝ご飯。

今日は、
昨日来る途中のコンビニで買った、
ランチパックとミネストローネとコーヒー。

朝はあまり食べれないのでこんなんで十分です。







ご飯を食べ終え、
部屋の片付けをし、
お世話になったビラ神納川を

スタート(04:50)

真っ暗ですが、
一応ビラ神納川を写してるんですよ(笑)



実は今回、
カメラを忘れまして、
写真は全てスマフォで撮ったもんなんです。

更に言うと、
カメラ本体は持ってきたのですが、
レンズを忘れたんです。

役に立たない物を背負って二日間歩くなんて、
最悪。



そして、
私のスマフォ、
かなり古くて、
解像度も低いし、
写りもイマイチなんです m(_ _)m

iPhone X買おうかしら。






三浦口 〜 三浦峠
途中、
農家民宿 政所さんによってビラの鍵を返し、
やって来ました、

三浦峠登山口(05:00)

見にくいですが、
「三浦峠」と書かれた案内板の前を右に入ります。



入っていくと、

「三浦の湧水」と書かれた、
水場があります。

ポンプでくみ上げてるようなので、
枯れることはないかと。

私はビラで補給してきたので、
ここはパス。



そして、

橋を渡ります。

この橋、
「船渡橋」と言うそうなので、
この橋がない時代は、
船でこの川を渡っていたんでしょうね。






橋を渡ると、

三浦峠の取り付きとなります。

登山届けポストもあります。






 『頑張ります!』




民家の間の石畳の道を登って行きます。

最近、
山歩きをしていないし、
まだ朝早いので、
結構キツイです。





しばらく登っていくと、



『んっ!?』




『出たな、妖怪!』



とは思いませんでしたが、
なにやら巨大なものが。



近くにあった案内を見ると、
ここは、

吉村家跡(05:30)



これによると、
さっきの妖怪もどきは、
防風林らいしいです。

写真ではうまく伝えられませんが、
めっちゃデカくで、
奇形なんです。



樹齢500年以上の杉なんですが、
なぜにこんな変な形をしてるんでしょうかね。

屋久杉もそうですが、
奇形だから生き延びるのか、
生き延びるから奇形になるのか?



な〜んてことを考えながら登って行くと、

五百瀬小学校、
ナイス。

廃校になったのが惜しい。






少し明るくなってきました。












三十丁の水(06:20)

ここもふんだんに水が出ています。

少し飲んでみましたが、
冷たくて美味しい水でした。

と言うことで、
ここで、
タバコ休憩。



後から思うと、
三浦峠に登るにあたり、
登山口からここまでがきつかったです。

特に、
吉村家跡からここまでが。

ここから、
三浦峠までは距離はありますが、
斜面は緩やかなので、
そんなにしんどくはなかったですね。



まぁ〜、
まだ体が起きていなかった、
と言うことはあるでしょうが。





緩やかな斜面を登って行きます。






花粉症の人にとっては、
辛い道かも。






中央右のピークが三浦峠でしょうか?

まだ結構ありますね。






小辺路全体で言えることですが、
ほとんど区間は林の中を歩くので、
見晴らしは望めません。

ですが、

時々展望の開けた場所があり、
こんなとこに来ると、
テンションが上がります。

しかし、
山の名前が全然わかりません f^^;)






途中、

何ヶ所か、


迂回路がありました。

これも、
先日の台風の影響でしょうか?

21号はかなり酷かったそうですから。






そして、
登りきったところが、

三浦峠(07:20)



最近、
山歩きをしていないので、
登りはしんどいです。

コースタイムをかなりオーバー。

まぁ〜、
もともと登りは苦手なんですけどね。






峠からの眺め。

素晴らしい。






ここは、
小辺路と林道が交差した場所で、

案内板と、



立派なトイレ(水洗ではない洋式)と、



東屋があります。



東屋の中に先客がいます。

良い場所に張ってますね。

これだと夜露に濡れなくて済むし。



この先客、
ドイツ人の若者で、
3週間のバカンスを取って、
日本に遊びに来たそうです。

日本に来て、
即行で上高地から涸沢、
そして、
ここ小辺路を歩き、
この後は大峯奥駈道を歩くと言ってました。

凄いわ。



日本は初めてだそうで、
日本語は全然分からないので、
大変やろうと言ったら、
向こうでもかなりの情報があるらしく、

『ノープロブレム』

って。

さすが世界遺産。



実は、
この後、
彼とは別行動だったのですが、
いろんなところで会うんです。

最後は、
本宮から、
田辺に行くバスも一緒だったんです。
(彼は湯の峰温泉まででしたけど)



ちなみに、
今回2日間歩いて、
会ったのは、
人間は彼だけ。

後は、
お猿さんが2匹。






三浦峠 〜 西中
彼とは随分話していたんですが、
またどこかで再会を約束して、

西中を目指して下山開始(07:40)






ここからは、

下りです。

重力に任せて、
転がり落ちて行きます。






古矢倉跡(07:50)

ここは、
「古矢倉」と言う、
茶屋兼旅籠だったそうです。

昭和10年まで営業してたそうです。



お地蔵さん(地蔵菩薩座像)もおられます。







出店跡(08:10)

ここも茶屋兼旅籠だったそうです。

明治43年には廃業になったそうです。

ここは、
平坦な場所が広いのですが、
昭和20年代の末までは、
水田があったそうです。

水をどうしていたんですかね。












五輪の塔(08:35)

なぜにこんなとこに五輪塔がと思ったのですが、
考えれば、
小辺路は高野山と本宮を結ぶ道、
高野聖による歓進の影響と言われる、
五輪塔があってもおかしくはないですよね。












五輪の塔からしばらく下っていくと、

ベンチがありました。

ここは、

矢倉観音堂(09:05)

このベンチで休憩しないさいと言うことですね。



と言うことで、
少し休憩。






ロープ場もあります。

必要はありませんが。






矢倉観音堂から10分程下って行くと、

舗装道に出ます(09:30)

ここから、
舗装道と登山道が何回か交差しているのですが、
とにかく、
登山道を優先して下って行きます。



そして、
出てきたのが、

国道425号線。



で、
その国道を左に少し行くと、

西中バス停(9:50)

登山道と舗装道を入ったり出たりして面倒臭そうですが、
道標があるので、
間違うことはないと思います。

ちなみに、
舗装道をそのまま道なりに下ると、
「西中」の一つ手前の「西中大谷橋」のバス停に出ます。






西中 〜 十津川温泉・昴の郷
小辺路は、
ここ西中(西中大谷橋) から、
次のマイルストーンの十津川温泉の「昴の郷」までの8Km、
国道425号線上に設定されているんです。

この区間、
国道なのでバスが走っています。



「小辺路を歩く」と言う意味では、
この区間も歩くのが正しいのだと思います。

 『小辺路、完全走破したぜぇ〜!』

って、
言えますからね。



ですが、
私、
ヘタレなんです。

当然、
乗らせて頂きます、
バスに。



しかし、
このバス、
使えそうなのは、

午前1本(10:08)、
午後1本(14:02)、
の2本/1日しかないんです。

朝早くスタートしたのは、
10時のバスに乗りたかったんです。






バスの時間まで少しあるので、
周りをブラブラしてみると、

これ、安くない?






やって来ました。






バスに揺られること約20分、
着きました、

昴の郷(10:35)

ここは、
温泉・宿泊はもちろん、
サウナや温泉プール、
多目的野外グラウンドといった、
いろんな施設を持つ温泉保養施設です。



もちろん、
食事も出来ます。

と、
思っていたのですが、

レストランは11:30から。

まだ、
1時間あります。



どうしよと、

ロビーの椅子に座ると、
そのまま寝込んでしまいました(笑)






昴の郷 〜 果無峠・観音堂
目が覚めたのは、
11時過ぎ。

食欲も無くなっていたので、
今晩のお酒とあてを買い、

果無峠を目指してスタート(11:20)






昴の郷を出て、
少し進むと、

トンネルがあります。



トンネルを抜けると、

吊り橋。

この吊り橋、
「柳本橋」と言う名前で、
ネット上の情報では、

「結構高くて、
 メチャクチャ揺れる」

しかも、

「板が薄く、
 所々穴が空いてて下が見える」

とか。



私、
高所恐怖症でして、
結構ビビってたんです。



ですが、
行ってみると、
板は最近張り替えたようで、
穴も開いてないし、
全然揺れないんです。

この橋があると思って、
昴の郷でビール飲まなかったんですが、
飲めば良かった、
残念。






吊り橋を渡り、
少し進むと、

果無峠登山口(11:45)



小辺路は、
水ヶ峰、
伯母子峠、
三浦峠、
そして果無峠と、
4つの1,000m超級の山越えがあるのですが、
ここから最後の山越えです。




しかし、
「果無」って名前、
哀愁が有りません?

もともと小辺路を歩いてみようと思ったのは、
この「果無」と言う名前に惹かれたんです。



はてさて、
どんなとこなんでしょうか?






登り始めると、

またまた、


いきなりの急登。

古い石畳が古道の風情を出していますが、、、
かなり歩きにくい。






振り返ると、

十津川の村が見えます。

十津川村は、
明治時代まで免税特権を与えられていたそうです。

まぁ〜、
こんな山深いとこまで、
税を取り立てに来るのは大変ですよね(笑)

実際は、
壬申の乱の時に地元の武装集団が武功を挙げ、
以来明治時代まで朝廷から免税特権を与えられたらしいのですが。

まぁ〜、
いずれにしても独立特区だったんですね。






悶絶しながら登っていくと、

集落が見えてきました(12:10)






そして、

ポスター等でよく見かける家の前を通ります。



こちらが、

そのポスター。

このお婆ちゃん、
世界的な有名人らしいです^^



風情のあるお家です。

古いのですが、
綺麗に手入れされています。

この縁側で、
お婆ちゃんに話を聞いてみたかった。



鹿の角を使ったフックが良い味出しています。

お婆ちゃんのアイデアでしょうか?
草履や傘が古道歩きをイメージさせます。



庭には、

綺麗な水が流れています。

頂いたのですが、
とても美味しい水でした。

ここから先、
観音堂まで水場が無いので、
ここで補給させて頂きました。






更に進むと、

「世界遺産記念碑」(12:20)

この景色も観光ポスターなどでよく見かけますね。

まさに、
「天空の郷」、
日本のマチュピチュですね。

って、
行ったことないけど。



この果無集落、
先ほどのお婆ちゃんの家もそうですが、
どこも非常に綺麗に手入れされています。

家だけでなく、
庭や畑も。

世界遺産に認定されてるから綺麗にしてるのではなく、
その前から、
遠い昔から綺麗にされてるのだと思います。

それらを見るだけで、
ここに住む人達がどんな人達なのか分かる気がします。






目指せ、
果無峠です。

しかし、
まだ3.9Kもあるのね。






先の道標から少し登ると、

こんな像が。



これは、

西国三十三観音だそうです。

果無峠には、
八木尾の登山口を1番として、
十津川の登山口の33番まで、
全部で33体の観音様が祀られ、
道行く人達を見守って下さってるんですね。

で、
これが30番。

31、32、33番は、
小辺路から分岐した道に祀られてるそうで、
見ることは出来ませんでした。






29番さんは、
お顔と手が3体。

でも、
足は1体?

馬頭観音と書かれていましたが、
怖い顔をされてます。






まだまだ急登は続きます。



そして、
急登を登りきると、
開けた場所に出ます。

天水田跡(13:35)

ベンチがあるので、
少し休憩します。

ベンチは朽ち果ててますが。



ここは、
昔は水田だったそうです。

川も無く、
水道も無い時代に(今も無いと思うけど)、
雨水だけを頼りに米を作ってたそうです。



ここからは、

遠く果無山脈が望めます。






天水田跡を過ぎると、
再び急登となります。

ええ加減にして欲しいわ、
ほんま。





山口茶屋跡(14:00)

茶屋跡で、
ここの住人が、
先の天水田で稲作をしていたそうです。



この近くには、

24番観音さんと、



お地蔵さんが旅行く人達を見守ってくれています。






ここまでも、
しんどかったのですが、
ここから、
今日のマックス。

最高にしんどかったです。

果てが無いので、
「果無峠」なのか?

マジでそう思いましたよ。



なので、
写真を撮る余裕も無し。

唯一撮ったのが、
観音さん達。



23番さん。



この前で休憩をしてると、
下から熊鈴が聞こえて来ました。

それも、
凄い勢いで聞こえて来ます。



『おっ、
 初めて会うハイカーや』

って、
思ってると、
三浦峠でテン泊してた、
ドイツ人の兄ちゃんでした。



目一杯荷物を詰め込んだ75Lのザックを担ぎ、
お遍路さんが持ってる棒を持って、
駆けるようにして登って来ました。

ドイツの加藤文太郎か?



話を聞くと、
私が出発して、
1時間くらい後から三浦峠を出発し、
西中から昴の郷までは歩き、
そして、
行動食をかじりながらそのまま登って来たそうです。



そして、

『see you lateeeer』

と言って、
チョコをかじりながら、
風のように登って行きました。



『…』



恐るべし、
ゲルマン民族。






私は、
観音さんごとに休憩です。



 22番さん。



21番さん。

後少しで、
観音堂です。

頑張れ、
俺。



しかし、
その気持ちをへし折るような、

急登の階段。

階段は苦手や言うとるやろ、
ほんま。






超悶絶しながら、
階段を上りきると、

観音堂が見えてきました(14:40)






果無峠・観音堂
ドイツ人兄ちゃんが休憩しています。

兄ちゃん『遅かったね』
私   『ほっとけ』

兄ちゃん『じゃ、行くわ』
私   『今日はどこでテント張るの?』

兄ちゃん『決めてない、
     行けるとこまで』



時間もまだ早いし、
私も予定では、
もう少し先まで進もうかと思っていたのですが、
これ以上は進めません。

ヘロヘロです。



ここは、
スペースもあるし、

水場もあります。

トイレもあります、
簡易のポッちゃんですが。



と言うことで、
今日はここでお泊りします。






観音さんに一夜の宿をお願いし、



チャチャっと設営。






幕営が済むと、
まずは一杯でしょう。

と言うことで、

今日はこんなとこいってみました。

「鮎の姿煮」と、
お酒「千代杉」は昴の郷で買ったものです。


 


そして、
少し早いですが、
晩ご飯。

今日は、

カレーとオニオンスープ。






カレーは食べ終えたのですが、

まだお酒が少し残っています。



チビチビ飲みながら、

『誰か登ってきいへんやろか』



一人が静かで良いのですが、
こんな山の中だと、
ちょっと寂しい。

と言うか、
ちょっと怖い。



小辺路を歩くにあたり、
色々調べたことが頭をよぎります。



「果無」の由来ですが、
坂道が果てしなく続くからではなく、、、


昔、
ここには怪物が棲んでいたらしいです。

その怪物はハテ(年末20日過ぎ)になると現れ、
旅人を喰ったことから、
峠越えをする者がなくなった(ナシ)という。
ここからハテナシの名がついたという。
Wikepedia - 果無山脈


怖いやん。



更に、
この観音堂ですが、
昔、
この参詣道を歩く人達を狙って追い剝ぎが出没し、
命を落とす人も多く、
その人達の供養のために建てられたものらしいです。


怖いやん。



普通、
こんな環境で、
そんなことを考え出すと、
怖さのスパイラルに落ち込んで、
中々寝れませんよね。






でも、
大丈夫。

私、
眠れるんです。

「怖さ」vs.「疲れ」は、
「疲れ」の圧倒的勝利。




テントのインナーを閉めるのも忘れて、
寝落ちしてしまいました(笑)




熊野古道・子辺路を歩いてみよう、アゲイン
前回リタイアした三浦口まで移動
一日目 三浦口 〜 果無峠・観音堂
二日目 果無峠・観音堂 〜 熊野本宮大社








3 件のコメント :

  1. こんにちは、はじめまして。

    記事に登場するドイツ人の方と当方もお会いしました。

    11/4(土)に高野山から大滝集落方面まで妻と日帰りのハイキングをした際、帰りの道中でお会いした次第です。当初は、ソロで高野山から十津川方面に向けて歩くつもりでおりましたが体調等の理由により急遽、日帰りに変更いたしました。当方の自宅から高野山は比較的近く、ロングトレイルは次の機会もあるだろうと判断いたしました。もし予定通り歩いていたなら、おそらく管理人さんとも何処かでお会いしていたことであろうと思います。当日は、本宮大社方面に向けて旅をなさっておられる12人の団体さんやソロの女性ともお会いいたしました。

    ドイツ人の彼とは20分ほどお話をさせて頂きました。当日は大股の小屋で宿泊するとのことで、本人には確認しませんでしたが、その後は、おそらく里に点在する民宿等を利用してゴールを目指すものとばかり思っておりました。しかし記事によるとテントにて2泊なさったようですね。三浦峠の東屋にテントを張り、動物避けなのかヒト避けなのか、バリケードを厳重に築いておられたのですね(笑)

    彼は自治体が発行した日本語表記の地図しか持っておらず、日本語もあまり分からず、そういう状況で無事にゴール地点に辿り付けたのであろうかと帰宅後も心配しておりましたが、それは杞憂だったようで安心いたしました。

    なお、小辺路に続き大峯奥駈道を歩くことや3週間もの長期の日程で旅行をなさっておられることも記事によって知りました。11月下旬には帰国の途に就き、今は本国で日常の生活を送っておられることでしょう。

    記事を載せて頂き有難うございました。

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    1. 学さん、こんにちは。
      そうなんですね。私は2日間で会ったのは彼だけだったんですが、結構歩いてる方はおられたんですね。
      彼は、凄い勢いで歩くんですよ、登りも下りのように。
      やはり、農耕民族では太刀打ち出来ませんでした^^;
      小辺路、私は諸般の事情で2回に分けて歩いたのですが、中々趣のあるトラックでした。学さんもいつかトライなさってみて下さい。
      日記のような当ブログですが、読んで頂きありがとうございました。

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    2. レス有難うございます。

      もともと小辺路は中辺路に比べてあまり人気がないようですが(交通の便が良くない)、11月の初旬でしたら時期的には少しオフシーズン寄りの季節となっていますので、そういうこともあり人との出会いが少なかったのかもしれませんね。テント泊の場合、11月初旬とは言え、朝晩の冷え込みはきつかったのではないでしょうか?当方は手持ちのシュラフが3シーズン用の化繊シュラフであり、それも断念した理由のひとつでした。

      ドイツ人の彼ですが、やはり肉体的にはそれなりに辛かったようですよ。ご覧になられたと思いますが、彼が背負っていたグレゴリーのバルトロ75の総重量は20キロ超だったようで、「重くてたまらんよ」と顔をしかめておられました(笑)

      今年はもう無理として、小辺路や大峰奥駆道に挑戦したいと思います。また、今後もブログを拝見させて頂きます。周辺国には何度か行った経験はあるもののベトナムには行った経験はありませんが、元バックパッカーとしては興味のある記事が満載です。

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