Tran Hung Dao(チャン・フン・ダオ)

今日4月28日はベトナム建国の父と言われる、
フン王の命日で、
ベトナムでは数少ない祝日ですよね。

と言うことで、
今日は、
この国でメッチャ有名な武人、
チャン・フン・ダオ(Tran Hung Dao)さんについて、ちょっと。

もちろん、
フン王とチャン・フン・ダオさんは全く関係ありませんよ。
ただの「フン」繋がりです ^^;

いつかチャン・フン・ダオさんネタを書きたいと思っていたのですが、
なかなかタイミングが無くて。
なので「フン」で繋げてみました ^^;






Ton Duc Thang 通りのメリン(Me Linh)広場にある、
チャン・フン・ダオ像。






で、
チャン・フン・ダオさんですが、
漢字名では陳興道(ちん こうどう)と言い、
陳朝時代に生きた武将なんですね。
一応は武人なんですけど、こちらでは神様と同等な扱いです。



なので、
彼を祀る廟があります。

Den Tho Tran Hung Dao(チャンフンダオ廟)




なかなか立派なお寺です。





チャン・フン・ダオさんについては、
Wiki教授のお話↓↓↓を聞いて頂くとして、

陳興道


今日は、
彼と日本の関係について。



この人、
もしかしたら、
日本の歴史を変えてたかもしれないんです。





昔、昔、
モンゴルによる巨大統一国家、「元」と言う国があり、
日本に攻めて来ました、2回も。
日本で言えば鎌倉時代で、「元寇」ってやつですね。

この時には、
「神風」が吹いて、
その結果として元は日本への攻撃を諦めたと言われてますが、
これは間違いなんです(少しは本当かも?)。



当時、
元は日本だけでなく、
ここベトナムにも攻撃を仕掛けていたんです。
両面攻撃ってやつです。

どちらの国へも船を使って移動しようと計画し、
中国の長江周辺で最新鋭の船を建造し、
最初はそのまま日本に出撃する予定だったのですが、
ベトナムへの攻撃が思いもよらず苦戦しており、
戦況打破のために大輸送船団をベトナムへ送り込むべく、
日本への攻撃に使おうとしていた船をもベトナム攻撃に使ったため、
日本は3度目の攻撃を免れたというのが真相らしいです。



その時にベトナム側で対決していたのが、
時の将軍だったチャン・フン・ダオさんなんです。

彼はゲリラ戦を用いて元の攻撃に対してその進撃を阻止したんです。
ベトナム戦争のゲリラ戦もこのあたりにルーツがあるのかも?

当時の元の皇帝であるフビライは、

『やられたら倍返しじゃ!』

と言うような人だったので、
まずはベトナムを

『ボッコボッコにしたる』

って言ってメッチャ攻撃したんです。

それでもチャン・フン・ダオさんは踏ん張り、
最終的には、
元はベトナムを従属国にすることが出来ないで終わった、
と言うお話です。





つまり、
彼が根性無しでヘタレだったら、
ベトナムも元の従属国になり、
その余勢で、日本もやられて、、、

もしかしたら、、、
今の日本は無く、
中国の日本省なんてことに、、、
あぁ〜、恐ろしや。






と言うことで、
私は彼の像の前を通る時はいつも

「ありがとうございます」

って拝んでます。

と言うのは嘘ですが、
歴史ってのはなかなか面白いものです。






こちらは、
チャン・フン・ダオ廟内にある像です。

チャン・フン・ダオさんの像はホーチミンだけでなく、
いろんな場所にあるのですが、
皆、左手を腰に、右手で前下を指差しています。
何の意味があるんでしょうかね?
『足元ヨシ!』って、指差呼称ではないと思いますが。






しかし、
彼の像の下にこんなのがいました。


ポチか ^ ^



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Den Tho Tran Hung Dao(チャンフンダオ廟)
36 Vo Thi Sau, District 1
06:00 - 11:00 / 14:00 - 16:00






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