今日の予定は、
ここ新高塚小屋をスタートし、
縄文杉等が有名な大株歩道を歩き、
もののけ姫の舞台と言われる白谷雲水峡を経て、
白谷公園まで。
コースタイムは最短ルートで7時間。
しかし、
ヘタレなおっさんチームでは何時間かかるやら。
なんせ、
今日も、
雨なんですよね、
小雨ですけど。
新高塚小屋 > 高塚小屋
まずは、昨日の宿泊予定地だった、
高塚小屋を目指して、
スタート(6:20)、
したのですが、
最初にお詫びを。
昨日、
カメラとスマホをジャケットの胸ポケット入れて歩きました。
さすがにゴアのレインウェアは豪雨にも耐えてくれたのですが、
私の不注意で胸ポケットのファスナーを一時閉め忘れ、
カメラとスマホが水没してしまい、
レンズの中に水が入ってしまいました。
と言うことで、
以後の写真は全て、
霧の中のような絵になってしまいました。
お見苦しい絵で申し訳ありません m(_ _)m
で、
着きました、
「高塚小屋」(7:50)
本当は、
ここが昨日のゴールだったんですけどね。
高塚小屋 > 大株歩道入口
(大株歩道)
高塚小屋から15分、(大株歩道)
屋久杉界の頂点に君臨する、
「縄文杉」(8:05)
って、
全然わかりませんね。
本当に申し訳ない m(_ _)m
せめて、
大きさだけでもと思い、
連れに立ってもらいました。
余計、
わかんないか。
と言うことで、
案内板をご覧下さい。
しかし、
通常の縄文杉トレッキングだと、
荒川登山口から入って、
いろんな杉を見て、
最後に縄文杉を見るので、
『やっぱ、スゲェ〜』
って、
なるのですが、
今回は逆。
最初に王様を見ちゃうと、
後から飛車角を見てもねぇ〜。
でも、
今回は仕方ありません。
縄文杉の下の水場で水を飲み、
こんなボードウォークを歩き、
次の杉に向かいます。
「夫婦杉」(9:03)
「大王杉」(9:11)
「ウィルソン株」(10:15)
株の中に入ってみると、
祠があり、
そして、
見上げる場所、
見上げる角度によっては、
ハート型に見えます。
ウィルソン株の前にはちょっとした休憩場所があり、
我々も休憩を。
この時、
ガイド・ツアーの御一行様が見学されており、
ガイドさんの話を聞くと(タダで)、
ウィルソン博士がこの株を発見したのではなく、屋久杉を世界に紹介してくれたお礼として「ウィルソン株」と命名した。
とか、
豊臣秀吉が切らせたというのは話としては面白いが、どうも違うらしく、実際に切ったのはマキさんとその仲間5名だった
とか、
もし切られていなかったら、縄文杉より大きくなったかも
とか。
やっぱ、
ガイド・ツアーに参加すると、
いろんな話が聞けて面白いですね。
ガイド・ツアー御一行様が縄文杉を目指して出発したので、
我々も出発(10:35)
連れが何やら案内板を見てます。
と言うふりをして、
休憩してます(笑)
見ていたのは、
「翁杉」(10:48)
案内板によると、
2010年に枯死らしいです。
そんな屋久杉を見ながら、
下りて来ました、
「大株歩道入口」(11:10)
写真右の階段が大株歩道の入口です。
朝から降っていた小雨もこのあたりではすっかり止んでます。
と言うことで、
少し早いですが、
昼ご飯。
写真を撮るのを忘れましたが、
いつものアルファ米とインスタントのスープ。
そして、
コーヒー。
朝から水しか飲んでなかったので、
生き返りましたよ。
大株歩道入口 > 楠川分れ
(トロッコ道)
昼ご飯も終わり、(トロッコ道)
次のチェックポイント、
「楠川分れ」に向けて、
トロッコ道を歩き始めます(12:10)
連れが何やら見てます。
と言うふりをして、
休憩してます(笑)
確かに、
綺麗な景色なんですけどね。
で、
着きました、
「楠川分れ」(13:10)
今日は、
ここから楠川歩道(奉行歩道)に入り、
辻峠を越えて、
白谷雲水峡を経て、
白谷公園に出る予定なんです。
で、
その辻峠に行く道を見ると、
連れ『無理!
絶対無理!』
相当疲れが溜まってるようですね(笑)
楠川分かれ > 荒川登山口
(トロッコ道)
と言うことで、(トロッコ道)
予定を変更して、
荒川登山口を目指して、
再びトロッコ道を歩き始めます(13:25)
「小杉谷休憩所」(13:47)
連れ『おっ、
何か書いてる。
ちょっと歴史を勉強して行こう』
と言って、
休憩します(笑)
しかし、
昨日に比べれば、
今日はメッチャ楽です(しんどいけど)。
雨・風は無いし(朝は少し降ってましたが)、
水場も多いし、
休憩する場所はあるし。
この休憩所は、
小杉谷製品事業所跡で、
- 大正12年、屋久島国有林開発の拠点として小杉谷(楠川分れ)に安房官行斫伐所を開設
- 昭和21年、現小杉谷製品事業所跡(ここ)に、安房事業所として移転改称
- 昭和28年、小杉谷製品事業所と改称され、森林開発前進基地として昭和45年まで続く(行政区域は上屋久町に属す)
- 最盛期だった昭和35年当時は、133世帯540人が小杉谷、石塚集落で暮らす(小・中学校の生徒数は最大147名)
国有林開発が始まったことで、
森林軌道と呼ばれるトロッコ道、
島の外周道路など屋久島のインフラは急ピッチで整備されたそうです。
そして事業所での活動が始まると、
小杉谷には労働者と共に家族も移り住み、
昭和10年には、
作業員200人、家族を含めて300人が住む大集落となったそうです。
小杉谷集落には、
各戸に電気と水道が引かれ、
郵便局、床屋、銭湯、商店も並び、
学童期にある児童のための私塾(後に小学校になる)も建設されとか。
電気に水道そして交通機関等、
鹿児島市内ですらそのようなインフラが整備されていなかった時代にですよ。
ちなみに、
小杉谷集落は、
ここから数分行った場所にあったそうですが、
今では小・中学校の門だけがかろうじて建ってる、
跡地となっています。
栄枯盛衰ってやつですかね。
歴史の勉強と言う休憩をし、
出発(14:15)
トロッコ道ですが、
大株歩道入口からしばらくは、
線路の間に板が敷かれており、
その上を歩けば楽なのですが、
途中から、
その板が無くなります。
これが、
結構と言うか、
かなり歩き難いんです。
なんせ、
枕木の間隔がバラバラで。
そんな歩き難いトロッコ道を歩いて、
着きました、
「荒川登山口」(15:10)
以上で、
2泊3日のトレッキング終了です。
ふぅ〜。
ここからバスに乗り、
屋久杉自然館で乗り換え、
安房に来ました。
宿近くのバス停で降り、
バス停前のスーパーで、
三日ぶりのビール。
激ウマ!
そして、
流れ的に、
三岳。
飲みながら、
連れに今回のトレッキングの感想を聞くと、
私 『初日は?』
連れ『楽勝』
私 『二日目は?』
連れ『死ぬかと思った』
私 『今日は?』
連れ『抜け殻』
中身の濃い三日間だったようです(笑)
世界自然遺産の島、屋久島へ行ってみた
屋久島へ そしてトレッキング開始
屋久島 トレッキング二日目
屋久島 トレッキング三日目
屋久島 予備日のはずが、今日もトレッキング
旅先紹介そのものと併せてテキストのリズムが心地よく、楽しく拝読させていただいております。
返信削除屋久島行はカメラの水没、残念でした(^_^;)
ところで、もう読まれているかもしれませんが、4日ほど前に同じく屋久島縦走のブログが上がっていました。
http://kenta-kiyomiya.com/yakushima2/
日程はほぼ同じ時期だろうと思いますが、それにしてもここまで天気が変わりやすい土地なんだなと、勉強になりました。
撮影準備万端でのリベンジ、期待しております。