6日目、Da Nang
大先輩達の墓参り

ベトナム縦断の帰国旅、6日目。
ダナン、3日目。



今日は、
雨が降ってないので、
ホイアン(Hoi An)に行ってみます。

昔、
ホイアンには一度行ったことがあるんです↓↓↓

ホイアンのランタン祭り



ホイアンに来たら行ってみたいとこがあったのですが、
その時は時間が無くて行けませんでした。



と言うことで、
今日はそこに行ってみます。







やって来ました、
最初の目的地。

石碑があります。






これには、

「MO ONG TANI YAJIROBEI」
「Mr. Tani Yajirobei's Tomb」


って、
書かれています。

「谷 弥次郎兵衛の墓」

と言う意味ですね。






ここホイアンには、
昔、日本人町が有り、
最盛期には数百人の日本人が暮らしていたとか。
江戸時代の初期のお話です。




日本人によって造られたと言う、日本橋




その後、
江戸幕府の鎖国政策により、
日本人は日本に引き揚げることになったのですが、
この地に残ることを選択した日本人もいたそうです。

その人達のお墓が今も残っているんです。






私もベトナムに来て、
この地で仕事をさせて貰った者。

そう言う意味においては、
彼らは、
私の大先輩。
苦労の度合いは天と地程の差があるでしょうが。



私は帰国しますが、
彼らは、
この地を選び、
この地に骨を埋めた人達。

帰る前に、
一度、
お墓参りをしたかったんです。







谷 弥次郎兵衛さんの墓
先の石碑から、

こんな道を進みます。





少し行くと、
再び、

石碑が有ります。

この石碑には、
参拝上の注意が書かれています。



バイクはここに置いて、
2本の柱の間の細い道を進みます。

バイク、
大丈夫かしら?







この石とコンクリの道は、
谷 弥次郎兵衛さんのお墓へ行く為だけのものです。






有りました、

谷 弥次郎兵衛さんの墓

亀甲墓ですね。






お花と線香が供えられてます。
まだ新しいです。

400年前から、
ず〜っと、
地元の人にお参りされてるのでしょうね。

って、
凄くない?






石碑が有りました。
内容は、

1647年、日本の貿易商人谷弥次郎兵衛(たにやじろべえ)ここに眠る。
言い伝えによれば、彼は江戸幕府の外国貿易禁止令に従って日本へ帰国する事になったが、彼はホイアンの恋人に会いたくてホイアンに戻ろうとして倒れた。
この彼の墓は母国の方向、北東10度を向いている。
この遺跡は17世紀にホイアンが商業港として繁栄していた当時、日本の貿易商人と当地の市民との関係が大変友好的であった事の証しである。


えぇ〜、
話やなぁ〜^^






蕃 二郎さんの墓
次にやって来たのが、

こちら。


谷さんのお墓同様、

「MO ONG BAN JIRO」
「Mr. Ban Jiro's Tomb」

って、
書かれています。






こんなとこを進みます。

って、
ここ民家じゃないの?






少し歩くと、
有ります、

蕃 二郎さんの墓






こちらも、

参拝上の注意が書かれてます。






民家の中に、

かなりのスペースを使ってます。

蕃さんに関しては、
説明が無かったのですが、
どんな人だったのでしょうかね?






具足 君さんの墓
最後にやって来たのは、

こちら。






こちらにも、

参拝上の注意が書かれてます。






この奥が、

具足 君さんの墓

ここも、
完全に民家の一角ですね。

それに、
かなりスペースがあります。






こちらも線香が供えられています。






具足さんも説明が無かったのですが、
名前が珍しかったので、
少し調べてみました。

そうすると、
面白い話を発見。






以前、
関西に住む知り合いが、
ベトナムのVISAを申請するのに、
大阪の領事館を調べて、

『大坂の総領事館は堺にあるんよ、
 なんで、そんなとこにあるんやろ?』

って、
言っていたのですが、
実は、
この具足さんと関係があったんです。


堺で青果卸売市場を経営する具足武さん(76)はテレビを見ていて、ベトナム東部の日本人町があったホイアンに「具足」と刻印された墓石があるとの話を知った。
「自分と同じ苗字でびっくりした」という具足さんはずっと記憶から離れず、平成12年5月にホイアンを訪問。知人らの協力で、博物館を兼ねていた明郷寺という寺院に、「具足君墓」と刻まれた墓石が展示してあるのをようやく見つけた。

 中省略

墓石には400年近く前の寛永か元禄を示す「己巳年」とあった。具足家は安土桃山時代から堺の商人で、「自分のルーツの墓がここに。そしてホイアンの人々が何百年も大事にしてくれていた」。具足さんの目頭は熱くなったという。現在、墓石は元にあった場所が整備され安置されている。

産経ニュース: ベトナム総領事館が堺にある400年来の理由(2013.12.24)


それが、
ここなんですね。

さらに、
帰国後に、具足さんは堺市議だった旧知の加藤均さん(83)(日越堺友好協会理事長)にこのことを話した。加藤さんは当時は大阪市内にあったベトナム総領事館と連携して墓参をさらに続けることにした。これが縁となり、加藤さんの誘いをきっかけに、総領事館は堺に4年前に移転した。


えぇ〜、
話やなぁ〜^^






同胞、この地に眠る
私も務めていた会社を辞め、
誰一人知り合いも無く、
土地感も無いこの地にやって来て、
会社を起こし何とかやって来ましたが、、、

今から400年以上も前に、
無事目的地に着けるかどうか分からない朱印船に乗り込み、
言葉も通じないであろうこの地にやって来た、
彼らの国際感覚・行動力には感嘆します。



具足さんは、
先の産経ニュースによると、

「あの墓は大事にしろ」という地元住民たちの伝承では、塩害で農業用水に困っていた現地で、近世に渡航してきた日本人らが井戸掘削を行い救ったのだという。 

ただ単に商売だけをしたのではなく、
地元の人達と一緒になって、win-win の関係を築いたのでしょうね。
これが、グローバル。



谷さんは、
一旦は帰国命令に従って帰国しようとしたのですが、
やはり彼女のことが忘れられず再び戻るのですが、
その途中で倒れてしまったと。
さぞかし無念だったでしょうね?

いや、違うか?
彼は己に忠実に、己の信じる道を歩み、
例えそれが成就出来なかったとしても、
彼は幸せだったのでは無いか?

なんて、
普段は思いもしないような事を考えさせられる場所でした。



いずれにしても、
我々日本人の同胞がこの地で眠っています、、、
合掌。






カオラウ
Cao Lau
せっかくホイアンまで来たので、
ホイアン名物のカオラウ(Cao Lau)と言う麺を食べて帰ります。

この麺、
ホーチミンでは中々食べられるところが無いんです。







ネットで調べて、
やって来たのは、

ホイアンの旧市街。

世界遺産に登録されてる町ですね。



地元の人と観光客でごった返してます。

まぁ〜、
今日は大晦日一日間。

地元の人も、
お正月用の買い物で忙しいのかな?






で、
評判の良かったお店に行ったのですが、
2軒ともお休み。

既に、
Tet 休みに入ってるんでしょうね。




でも、
あそこに行けば絶対有ると思い、
やって来ました、

ホイアン市場
Cho Hoi An






もちろん有りました、

カオラウ
Cao Lau






このカオラウ、
一説によると、
日本人によって伊勢うどんが伝えられ、
ベトナム人によってアレンジされて出来たとも言われてますが、
どうなんでしょうか?

まぁ〜、
日本人村が有ったくらいだからそうかもしれません。






濃厚なタレを麺に絡めて食べる、
と言う所は伊勢うどんに似てますね。

麺も Pho や Bun と違って、
日本のウドンのようにコシがあります。

美味しいですよ。
日本人には合うと思いますね。






さて、
お墓参りもしたし、
カオラウも食べたし、
空模様も怪しくなったので、
ダナンに戻ります。














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