フエ、2日目。
フエと言えば、
ベトナム最後の王朝・阮朝の首都だった街。
なので、
阮朝時代の華麗な王宮、皇帝廟、仏教寺院が多数残されています。
これら構造物が、
ベトナムで最初の世界遺産、
「フエの建造物群」
に登録されてるそうです。
と言うことで、
普通はこれらの建造物を見て回りますよね。
ですが、
私がこの街に来た目的は、
別に有るんです。
なので、
今日はツーリングを兼ねて、
郊外にある皇帝廟や寺院を巡ってみたいと思います。
カイディン帝廟
Lang Khai Dinh
最初にやって来たのは、Lang Khai Dinh
カイディン帝廟
観光客の人も多いですが、
ロコの人もメッチャ多いです。
お正月だからですかね?
ここは、
1916 〜 1925年に皇帝に在位したカイディン帝の墓所です。
ベトナム最後の王朝・阮朝は、
13代で終わるのですが、
カイディン帝は12代の皇帝です。
他の皇帝の廟が中国風なのに対して、
ここはヨーロッパ風の造りになっています。
何故に?
カイディンさんはフランスかぶれだったそうです ^ ^
出入口は3つ有りますが、
真ん中は皇帝専用だそうで、
今でも、
閉まったままになっています。
こちらが、
遺体が安置されてる建物の中ですが、
超豪華。
天井も、
すっごっ!
時代は激動の第一次世界大戦の真っ只中。
世界が大きく動いてた時代、
ベトナムもフランス支配からの独立を目指して、
ホーチミンさん達が活動を開始したころです。
そんな時代に、
死ぬ前から自分のための豪華なお墓をせっせと造らせていたなんて、
なんて呑気な皇帝だったのでしょうかね?
写真が、
カイディンさんです。
なんとなく、
そんな感じに見えません?
しかし、
ただ完璧なフランスかぶれだったのではなく、
中国のおいしいとこは取り入れてます。
広場には、
象、馬、兵士、賢者等の像が並んでいます。
『 死んでも、
ちゃんと面倒みろよ!』
って、
ことなんでしょうかね(笑)
私的には、
お墓は良いとして、
カイディン帝の最大の罪は、
それまでの漢字表記を、
クォック・グーに改めさせた事だと思うのですが。
クォック・グーってのは、
現在のベトナム語でして、
何もこんなくっそ難しい言語にしなくても良かったのでは。
おかげで、
10年間もベトナムにいて、
さっぱり覚えられません。
って、
英語も含めて、
外国語に対する素養が欠落してるんですけどね。
ミンマン帝廟
Lang Minh Mang
ミンマン帝廟を目指して走ってると、Lang Minh Mang
突然親父が道に飛び出して来ました。
あぶねぇ〜。
親父『ミンマン帝廟に行くのか?』
私 『そうだが』
親父『この道を行けばミンマン帝廟。
バイクでは行けない。
バイクは見ておいてやる、1万ドンな』
と言って、
店の奥の道を指示します。
かなり
胡散臭いと言うか、
やられた感満載なのですが、
たしかに、
Google先生の指示もそのようになっていたので、
親父の言う通り、
バイクを置いて、
1万ドン払います。
まぁ〜、
普通の駐輪代でも5千ドンくらいするので、
観光地なら1万ドンは許容範囲です。
しかも、
こんな奴と遊べましたしね(笑)
で、
こんな道を進みます。
どう見ても、
怪しい。
しばらく歩くと、
入り口が。
でもね、
周りを見ると、
駐輪場が有りました。
と言うことで、
皆さん、
バイクでミンマン帝廟に行く場合には、
ここは強硬突破しましょう(笑)
さて、
ミンマン帝ですが、
2代目の皇帝で、
在位は1820 〜 1841年だそうです。
ミンマン帝は清国を宗主国として、
過度な中華秩序をしたことでも有名で、
ヨーロッパから来る欧米人を拒絶、弾圧したことで、
後のフランス植民地化の原因を作った人物らしいです。
なので、
ここの造りは中国風です。
この石碑には、
ミンマン帝の功績が書かれてるそうです。
ここはかなりデカイです。
庭には花が飾られていますが、
これはお正月用の物で、
普段は無いそうです。
奥に見える建物を過ぎると、
このような祠があります。
この祠も中国建築様式です。
当時はキリスト教徒も少数ですがいたそうです。
ですが、
ミンマン帝が行った政策は日本で言えば江戸時代の鎖国。
欧米諸国の文化流入を防ぎ、
キリスト教を弾圧したらしいです。
上の祠の奥にそのミンマン帝の墓所が在ります。
行ってみようかと思ったのですが、
かなり遠い。
しかも、
墓の前の門までは行けるのですが、
墓自体は一般公開はされていないそうです。
なので、
パス。
こちらの門も出入口が3つ。
真ん中は皇帝専用の門です。
ここにも、
兵馬俑のような像が有ります。
このような像は、
フエ王朝建築の特徴らしいです。
ホンチェン殿
Dien Hon Chen
次にやって来たのは、Dien Hon Chen
こんなとこです。
この川の向こうに、
ホンチェン殿と言われるお寺が在るんです。
ここはガイドブック等にはあまり載っていないと思いますが、
船に乗ってお参りに行くと言う趣に惹かれてやって来ました。
渡し船に乗り込みます。
しかし、
水掻き出してるけど、
大丈夫か?
大丈夫のようです。
数分で対岸に。
階段を上がっって、
入場料4万ドンをはらいます。
そして、
これが、
ホンチェン殿
ベトナム中南部にチャンパ王国をひらいた、
チャム族の神様を祀ってるそうです。
しかし、
メッチャ小さくてボロっちいお寺ですね。
言い方を変えれば、
趣が有るというか。
↑フォローになってる?
でも、
これで4万ドンは高いような。
こんな祠もありました。
渡しの船は、
お寺に渡る時にはお金を取られなかったので、
タダかと思ってたら、
帰りに 2万ドン取られました。
しっかりしてるわぁ〜。
トゥドゥック帝廟
Lang Tu Duc
次にやって来たのが、Lang Tu Duc
トゥドゥック帝廟
トゥドゥック帝は4代目の皇帝で、
在位は13代皇帝の中で最も長く、
1847 〜 1883年まで続いたそうです。
入口を入ると、
大きな池があります。
ここはトゥドゥック帝の別荘として建てられた王宮だそうで、
トゥドゥック帝はここで舟遊びでもしたのでしょうかね?
池の畔には、
東屋らしき建物があります。
毎度お馴染みの三つの門です。
当然、
真ん中の扉は閉まってます。
この門をくぐると、
トゥドゥック帝が別荘として使ってた建物があります。
現在は、
お寺になっていますけど。
このお寺の奥には、
この様な建物があり、
中には、
大きな石碑があります。
これは石碑としてはベトナムで最大の物であり、
トゥドゥック帝の自己批判的自伝が書かれてるそうです。
先の2代目皇帝ミンマン帝は、
西洋人とキリスト教の排除に努めました。
4代目トゥドゥック帝もまたその思想を引き継いだのですが、
フランスを怒らせてしまったんですね。
切れたフランスに攻め込まれ、
やられちゃったんですね。
先の石碑の奥に、
こんなエリアがあります。
説明書きらしき物が無かったのでよくわかりませんが、
これが、
トゥドゥック帝の墓所なのかもしれません。
と言うことは、
そのエリアの中に有ったこれが、
トゥドゥック帝のお墓かも。
それにしては、
ちょっとトショボイような。
違いますかね?
でも、
ここが一番奥なんですけどね。
トゥドゥック帝の政権が崩壊した後、
皇帝は非常に短い期間で次々と変わっていきます。
そんな不安定な王朝だったので、
清仏戦争でフランスが勝利を収めたのち、
阮朝はフランスの保護下となり、
キリスト教の普及も認めざるを得なくなったそうです。
ここにも、
他の廟同様、
兵馬俑のような像が有ります。
象や馬の像は霊から身を守ると信じられたそうです。
線香村
最後は、ティエンムー寺に行こうと思い走ってると、
こんなお店が並んでる通りがありました。
線香を売っています。
後で調べたら、
この辺りは線香村と言って、
線香を作ってる所で、
パッケージ・ツアーでは必ず寄るとこだそうです。
バスも停まってます。
写真を撮ってたら、
おばちゃんが、
『このアングルがデップ!』
と言って、
指示します。
言われるままに撮ったのが、
こちら。
デップですかね?
ちなみにデップは「dep(きれい)」 です。
そして、
『作ってるとこを撮れ!』
完全に仕切られてます。
で、
制作の様子が、
こちら。
ここまで来ると、
流れ的に、
おばちゃん『これ、◯万ドン、
これ、⬜︎万ドン』
と、
なりますよね。
私 『買ってあげたいけど、
荷物になるので、
買えないんよ』
と言うことで、
1万ドンのチップを払って勘弁してもらいました。
ごめんね、
おばちゃん。
ここは、
ノンラー(傘)も作っており、
その作業の様子を見ることが出来るようですが、
今日は Tet中なのか、
見ることは出来ませんでした。
ティエンムー寺
Chua Thien Mu
最後にやって来たのが、Chua Thien Mu
「天女の寺」と呼ばれる、
ティエンムー寺
昔、
ある老婆がこの周辺に住む人々に、
「いずれ支配者がここに現れ、塔を建てるだろう」
と予言したという伝説があり、
その老婆は実は天女ではないか?
と言うことから「天女の寺」という通称が付けられたそうです。
ティエンムー寺と言えば、
この塔、
トゥニャン塔。
レンガ造りの八角七層の塔です。
中国っぽいですよね。
この塔が、
老婆が予言した「塔」なんですね。
で、
ここに来たのは、
このオースティンを見たかったんです。
1963年、
ベトナム戦争に抗議したこのお寺のお坊さんが、
サイゴン(ホーチミン)まで行って、
アメリカ大使館の前でガゾリンを被って、
焼身自殺をしたのですが、
その時にここからサイゴンまで乗って行った車なんです。
このお坊さんは、
Thich Quang Doc(ティック・クアン・ドック)と言って、
ホーチミンの
8月革命(Cach Mang thang 8)通りと、
Nguyen Dinh Chieu 通りの角に像が祀ってあります↓↓↓
Thich Quang Doc
彼は、
支援者たちが拝跪する中、
この車の前で、
燃え上がる炎の中でも蓮華坐を続け、
絶命するまでその姿を崩さなかったそうです。
この車は、
その時の目撃車なんです。
ちなみに、
当時の大統領の義妹が、
『ただの坊主のBBQ』
と言ったそうで、
当時圧政に苦しんでいた国民の反発が爆発し、
半年後のクーデータに繋がったそうです。
「口は災いの元」ですね。
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もう少しはやく回れると思ったのですが、
結局一日かかってしまいました。
と言うことで、
王宮を始め、
旧市街はパス。
ホテルに戻ります。
寺院を巡る旅、気持ちが落ち着きます。
返信削除地元の人との触れ合い、東洋の空気感に癒されました。
素敵な編集で楽しい旅が出来た気がします、感謝です。(*^▽^*)
恐れ入ります。
削除そう言って頂くと、書いたかいがあります。
今回の旅はまだまだ続きます。よろしければ、続きも読んでやって下さい。